世の中にはさまざまな職業があるものです。「なんでもしたい、いろいろなこと、さまざまな仕事に関わりたい」、そのようなことを考えるのは自由ですし勝手ではあります。
ただ、どのような分野においても「習熟度」のようなものがあります。どのような分野においても「レベル」というものがあります。「素人」と「プロ」という言葉に象徴されるように、同じ物事であってもそれで稼ぐことができるレベルと、それでは到底人には認められないというレベル、「クオリティ」というものがあります。
どのようなことに関わるか、何を生涯の道として、どのようなことを仕事として生きていくのかということは「自由」ではあります。ただ、それが本当に「仕事になるか」ということが問題で、「携わりたいけれど仕事にならない」ということの方がもしかしたら多いかもしれません。どのようなことでも、突き詰めれば上がいて、どのようなことでも仕事にすると現実に直面するのです。何をしていても、そのようなことが測られます。
それが専門的なことであれば尚更です。普通の人ではとても敵わない特殊なスキル、普通の人ではとても遂行することができない、特殊な仕事、そのようなことはそれを実現するための「スキル」が最後まで問われます。そのスキルを持っているから、「仕事」になるということ、そのスキルを持っているから、そのスキルを通じて社会に参画できる、いわゆる「職人」です。そのような立場を得るためには、肝心な「スキル」が備わっている必要があります。
専門学校はカルチャースクールではありません。専門学校に通うことで得られるのは、「学歴」ではありません。一言で表すと「特化した技術と知識」です。特化したスキルと特化した知識で、それを武器にして社会に貢献できるように備えることができるのです。その先にあるのはその道で戦う自分の姿です。その未来にあるのはその分野の「専門家」として「働く」自分です。
そうです。その先には、未来には、その道の「仕事」があるから、本気で学ぶ必要があるのです。そのための学校です。大学などでは、「就活」ということで自分の働く先を選ぶことができます。一般的な就職活動では、「目的意識」などというものはあまり意味がありません。そこに必要なものは包括的な「人材」としての価値です。新卒の社会人などができることなどは誰でも似たり寄ったりです。大した差はありません。
ですが、「専門職」ともなるとそのようなことは関係がありません。「それ」をどの程度のクオリティで実践することができるのかということです。求められているチカラを、求められている通りに発揮することができるのかどうかということです。そこには「結果」だけが存在します。そこにあるのは「ニーズに応えることができたかどうか」という「プロ」としての成果だけが存在するのです。
ですから、専門学校で学べること、学ばなければいけないことは、仕事として役に立つ「チカラ」ということです。