高校を卒業すると、あとは自由に自分の通いたい学校を選べることがほとんどです。家庭環境が許す限り、全国どこにでもある専門学校や大学に通うことが可能になるのです。
地元に進学したい学校がない場合、都市部や都会に進出して通い始める必要があるでしょう。実家から通えない場合は一人暮らしの始まりです。高校を卒業して一気に生活が変わる、高校を卒業して一気に自由を感じるという人は少なくありません。実家にいたときは家族がいて、両親がいて、自分のだらしない生活を叱ってくれたものですが、それが一人で暮らし始めるとそういうわけにもいかなくなる場合がほとんどです。
そこでもやはり「意志」のチカラが大きいもので、田舎から上京した人は特に、「都会の誘惑」というものに勝てないことがあります。ただなんとなく都会に出たいから専門学校に通うことにした、という人は特に、生活が乱れることがあります。
その結果は記すまでもありません。その「道」で生きていくどころか、ただ都会で遊ぶだけの存在に成り果てます。都会であればあるほど、生きていく方法は多いもので、別に学校に通ってその「道」に入らなくても、どうにでも稼げるものなのです。それでもあえて、厳しいことを乗り越えてその特化した「道」に進むためには「意志」が必要です。その意志は自分だけが持つことができるもので、人から教えてもらうものではありません。自分で発奮させるもので、誰かが「進み方」を示してくれるわけではありません。
それが「自由」です。何をしてもいい、どう生きてもいいという状態は自由以外の何物でもありません。ただ、その「自由」には「責任」がついて回ります。それは自分自身に対する責任です。自分の将来に関する責任です。
その責任を放棄した人は学校から去っていきます。別の生き方ができるからという理由です。それはそれで悪いことではなく、その人の勝手です。
専門学校では長い休みの度に学校にくる人が減っていきます。長い休みが繰り返される度、同輩が減っていくのです。それはその間に新しい道を見つけたか、アルバイトが忙しくなったか、理由はさまざまでしょう。二年目ともなれば、下手をすると半数近くの人が学校を去っていることになるでしょう。
それは自分に対する可能性の感じ方、将来のビジョンを見なおしたからかもしれません。別の生き方ができると思い至ったかもしれません。人それぞれでしょう。ただ、そのような人の生き方に対して第三者が何か口出しする必要もありません。大切なのは「自分」がどうするかということです。
そのように別の道を見つけた人を「羨ましい」と思うのか、それでも自分は初志貫徹するのか、それも自由です。
どのように生きるか、なにを学んで、どのように活かすか、すべては自分の責任で、誰かのアドバイスに従えばその通りになるわけでもないですし、誰かに否定されたから諦めなければいけないわけでもありません。自分で、決めることです。