特化した職業というものは数多くあります。「その道」に特化した仕事ということです。そのような仕事に進むことは「手に職」を持つということと同義でしょう。
一般的なサラリーマンは「総合職」といってもいいでしょう。ひとつの会社の中にさまざまな部署があり、ただ、ひとつの組織の中で人員配置のローテーションは起こるものです。いわゆる「部署異動」というものです。そのようなことがあっても組織が意地されるのですから、そのような「各部署」の仕事というものは「役割」は明確であっても「特化」しているとは言いがたいものなのかもしれません。対して「特化した職業」というものは「代わり」を務めるためには前任と同等かそれ以上の「スキル」が必要になるような職業です。
そのような仕事を手にするためには、「仕事にしても通用するスキル」を身に付ける必要があります。それは「素人」では到底マネをすることができないようなスキルです。素人では出すことができないクオリティ、素人では出すことができない技術、圧倒的なスキルを身につける必要があるのです。
それが「プロ」という存在です。
どのような分野においても、その道、その分野で生きていくということは「プロ」になるということです。「会社」という組織の中に埋もれている場合、その「スキル」が曖昧になるものです。組織の中で生きていると、自分のポジション、そして人のポジション、さらにはこれからのキャリア、自分の「昇給イメージ」などが気になって仕方がなくなります。そのような状況下では「うまく立ちまわること」が大前提になってしまうもので、仕事のクオリティもその立ち回りの一部分になるものです。気にするのは上司の評価、査定での評価ということになるでしょう。自分がどのような仕事を行うのか、自分がどのように生きていくのか、暮らしのレベルがどうなるのかということが、それらにかかっているからです。
ですが、手に職を持つということは少し違う意味を持ちます。自分のスキルで生きていくということです。自分が身につけている知識と技で稼ぐという明確な目的があるのであれば、自分のそれらのスキルを磨いていくことこそが、自分の生活を豊かにするための最短距離ということになります。手に職を持つということはそのようなシンプルな考えを抱くことができるということでもあります。ただその道で、ただ自分の仕事のクオリティを追求することができるということです。それが「仕事」になるということなのです。
それは一般的な会社員からは到底考えも及ばないようなことです。「特化」しているということはそういうことで、「プロ」として、その道の職人として、その仕事に携わることができるということはそのようなことなのです。
「そのスキル」で生きていくということは、素人から見て圧倒的な「差」を持ってしてその仕事に臨むということです。その「差」は趣味程度では破ることができないものである必要があるのです。