知りたいことはどんどん質問する

専門学校に通うことの「価値」は、ただ授業を受けることだけではありません。ただ授業を受けるだけではなく、本当の価値は自分が居合わせる場に「プロ」がいるということです。

自分が進みたいと考えている「道」を、まさにリアルタイムで歩んでいる「人」がそこにいて、いわば自分の大先輩とその場で話すことができることです。それが専門学校の醍醐味でしょう。そのような人に接することができる場などは、プロの仕事の現場以外、専門学校にしかないのです。

知りたいことを知ることができる、それが専門学校という「場」です。それが本当に「価値」がある環境です。もちろん、学校のカリキュラムは基礎を養う上で必要なものです。ただ、それだけをこなしていれば「絶対にプロになれる」というわけではありません。クリエイティブなこと、それは音楽でもデザインでも同じですが、そのようなクリエイティブなことを仕事にするためには、常に何かをクリエイトするような「習慣」が必要です。常に何かを作っている、常に自分の創造性を回転させていることが必要です。学校で学ぶことはそれを「補完」するためのものであり、増強してくれることです。

例えば音楽の専門学校に通ったとします。そこで学べるのは基礎から体系的にまとめられた音楽の知識であり、「楽典」を紐解いた音楽の理論でもあり、アンサンブルの素晴らしさや、実際の「作り方」などです。ただ、どうしても学ぶことが出来ないのは「自分の中に創造のタネを宿すこと」です。それは「作りたい」という気持ちを宿すことです。「作りたい」という気持ちがなければ、何も生み出すことはできません。ただ、どうすれば「音楽を作りたい」と考えるようになるのか、誰も知らないのです。それは自然発生的に生まれた「衝動」だからでしょう。

そのような衝動に駆られて何かを作っているとき、「こうしたいけどやり方がわからない」というもどかしい局面があると思います。自分のイメージしていることをどうしても具現化できないということがあると思います。そのようなときに、それを学校で先生に質問してみるということが出来ます。それが専門学校に通う特権です。そのためには先生と良好な関係を保つことも大切ですし、同輩とも良好な関係を保つ必要があるでしょう。

カリキュラム外の部分で、その時自分が知りたいと感じたこと、知りたいと考えていること、必要な知識を、授業の外で得られるのです。それが専門学校の最大のメリットです。ただ黙ってカリキュラムに従うようなことでは意味がなく、ただ黙ってカリキュラムをなぞればいいというわけでもありません。必要なのは自分の「意志」、その道を歩むという強烈な意志です。それがあれば、実は学校で先生を捕まえて知りたいことを聞き出すということは自然に行うはずのことであるということです。

専門学校が高校や中学とは違う最大のポイントは、「自分の意志があるかどうか」ということなのです。