就職率に騙されないこと

専門学校は、特化したスキルを身につける職業訓練校のようなものです。そのような学校で学ぶことで「将来に役立つ知識と技術」を身につける場所なのです。

ですが、専門学校に通えば必ずその道で生きていけるわけではありません。そのような道で生きていくためには、絶対に自分の「意志」が必要です。その「意志」は自分にとってどのようなものであれ、最終的な「武器」になるものです。ある意味、その「武器」がなければどのような仕事でも耐えることはできないでしょう。働くということは辛いことがたくさんあります。やりたくないこと、自分の目からは「意味がないのではないか」と感じることがたくさんあるのです。

社会というものは残酷です。「会社」は収益をあげなければ潰れてしまうものです。資本主義というものは無慈悲なもので、すべてのことにおいて「数字」がモノを言います。株式を発行して出資してもらおうとするのであれば、しっかりとした事業計画が必要です。出資者がそれぞれ納得できるだけの「数字」としての裏付けが必要です。その「数字の計画」を立てるためには、世相を読んだり、市場、市況を判断したりする必要があるのです。そのようなことを通じて世間的に「しっかりしている計画だ、これならば儲かるだろう」ということがわかってはじめてその「事業」は人に認めてもらうことができるのです。

なんでも好きなことができる世の中ではあります。ただ、それには「先立つもの」が必要ではあります。先立つものがそこにあり、その仕事が成立するだけの根拠がなければ、「資金」を集めることができません。それが世の中の「実際」です。

就職とは、そのような厳しい社会に対して自分の能力で貢献することです。仕事の規模はさまざまです。立場もさまざまです。実際に働いてみたらイメージと違ったということもたくさんあります。自分ひとりが叫んでも、どうしても変えられないものというものがあります。どうしても変わらないことがあります。そのような社会に対して、確固とした「意志」で臨む必要があるのです。それが「働く」ということです。

専門学校がいくら優秀であっても、いくら就職率が高くても、実際にそれに関わる本人の意志が弱ければ、どのような仕事にも就けません。厳しい世間、甘えることを許してくれない社会で、戦いきれるだけの意志と、それを反映した実力が絶対に必要なのです。そこに気がつけるかどうかが問題です。そこに意味を見いだせるかどうかが問題なのです。

働くということはそういうことです。社会に出るということはそういうことなのです。甘えていてはいけません。専門学校はモラトリアムの期間ではありません。社会に出るための準備期間です。その準備の間に油断していると、同輩に抜かれてしまいます。甘えていると、足元をすくわれます。専門学校に入学を決めた瞬間から、社会に対する戦いは始まっていると考えましょう。生きること、働くことは戦いなのです。