中学、高校と楽しい学園生活を送ってきた人は、専門学校の「あとはどうぞお好きに」という空気に戸惑うことがあるようです。ただ、これは専門学校だけではなく、「大学」に進学していても同じことでしょう。
小学校、そして中学、高校と、「学校」といえば一日中拘束されることが大前提でした。一日中拘束されるということは、学校がある日と学校がない日があるということです。学校がない日を「休み」と呼んだりしたものでしょう。ですが、専門学校や大学はそのようないわゆる「学校」という感覚で通える場所ではないのです。その生徒に必要なカリキュラムを決まった時間に提供している場所です。生徒は一日中学校にいるわけではなく、必要なときに学校にいることになります。それがどういうことかというと、自分が受ける授業があるときに、学校にいればいいということです。
小学校、中学校、そして高校では、一日中学校に滞在して、一日中授業を受けることが大前提でした。同輩と同じ授業を受け、さらには授業が終わったあとは部活動に精を出し、日々学校を満喫していたのです。ですが、そのような「学園生活」は専門学校にはありません。
それまで通っていた「学校」は、なんだか日常の中でも「拠り所」とするべき場所でした。自分は「学生」であり、その学校の「生徒」であり、心身ともに大切なものを育む場所として、時には先生や同輩に悩みを相談しながら、時にはぶつかり、時には励まし合いながら、日々を過ごしてきた大切な場所だったのではないでしょうか。ですが、その先に通う大学や専門学校ではそのようなことはありません。そのような「甘い気持ち」を受け入れる場所ではありません。
それまでは「行かなければいけないと言われているから」、「それが普通だから」、なんとなく通っていただけである「学校」だったのです。ですが、これからは「自分で選んだから」、学校に通うのです。自分がそうしたいと思ったから、自分がそこで学びたいと考えたから、自分の将来をその「道」に見据えたから、そのような場所で学ぶのです。
そのような自分の「選択」が大前提として根底にある場所で、「楽しい学園生活」など望めるわけがないのです。そのようなものを希望する方がおかしいのです。そのような場所で考えることはただひとつ、自分がそこで何を得られるのか、自分がそこでどのようなことを身につけて、どのように生きていくのかということだけです。
ですから、それまで抱いていた、それまで過ごしてきた「学校」という場所での在り方を専門学校に適用してしまうと、少し空回りしてしまうでしょう。クラスのみんなと仲良くなることは必要です。先生との交流を深めるのも大切です。ただ、それ以上に必要なのは「自分の将来」に必要なことを貪欲に吸収することなのです。そのために安くない学費を支払って通っているわけです。学校で「良い生徒」でいることはなんの足しにもならないということを知っておきましょう。