世の中の仕事はさまざまな「立場」の人が連携しあって、関係しあって、成立しているものです。仕事のほとんどは「組織」で行うものであり、それらの仕事のほとんどについて「責任者」がいるものです。
どのようなことであれ、「考える人」と「実践する人」にわかれるものです。そしてそれらの一連の仕事、仮にプロジェクトとすればそのようなプロジェクトについて、「責任」をとる人がいるのです。それは「上司」であったり、プロジェクトリーダーであったりするでしょう。すべての物事、金銭が関わるもの、会社という組織で行うものについては、すべてがそれらの、それぞれの人が持つ役割が連携して成立しているものなのです。
その中でも実際に手を動かす人、実際に汗を流す人、組織上では末端にいるそれらの人が実際にそれらの物事を「成す」のです。例えば土木建築現場では、「そこにこういう施設を作ろう」と考えた人がいて、「それではこの業者にこれくらいの予算で発注しよう」という考えに至り、それを請け負った事業者が「このような設計で、このような段取りで実行します」ということを発注元に了解を得、「それではこの人員で、これくらいの期間で工事をしよう」と、実際の工員をあてがうのです。実際に工事を行うのは現場に入る作業員です。
その構図が「悪い」ということではなく、仕事とはそのようなものだということです。さまざまな因果関係があって、その仕事が成立しているということです。さまざまな因果関係があって、そのような仕事がそこにあり、そこで働く人たちがいるということです。それが「社会」であり、それが「仕事」だということです。実際に現場で働く工員は、その道の専門家です。実際に手を動かして「作る」ということで生きているのです。そしてその工事を請け負った事業者、その会社の経営者や調整役は、もしかすると土木の技術などは持ちあわせていないかもしれません。それでも、実際に案件を取ってきて、工事を請け負うということがなければ、作業者たちには仕事はないのです。仕事がないということは、そのスキルも意味がないということです。
そのような積み重ね、連携ですべては成り立っているということを知っておくべきです。そのような連携こそが、「社会」の根幹であるということを知っておくべきなのです。
「手に職」というスタイルは、実際に「現場で働くこと」と等しいのです。その技術、スキルのすべてで、社会に貢献するということなのです。現場の作業者と、案件を成立させる営業マンのどちらが偉いということはありません。それぞれの役割を全うすることで、すべてが成り立つのです。「手に職」と考えている人は、それを知るべきです。それを知った上で、自分は生きていくという覚悟が必要です。働けばわかることですが、ビジネス上の制限はあるものです。自分の思い通りに働くことができる局面などは少ないのです。それが「世の中」、社会です。